大学院時代の研究で、自分が何をやりたかったのかをやっと言語化できた話


自分が大学院時代に機械学習の研究に励んでいた時代は、生成AIなどというものはまだなかったものの、深層学習ブームでいろんな研究分野が勃興していたので、このビッグウェーブに乗ろうと大学時代からAIの研究に取り組んでいた。あと数年、大学にいた時期が遅ければ、生成AIの台頭によって自分の研究が吹っ飛ばされいたと考えると、非常に恐ろしい話である。

自分が所属していた研究室は、よくある上から研究テーマが降ってくる系の研究室ではなく、「やりたい研究テーマに取り組め」という研究室だったので、いろんな分野の本や論文を読みながら、「自分が何に興味があるか」を深めていった。

その中で、自分が選んだテーマは「感情ベースのクロスモーダル検索」だった。クロスモーダルというのは、「動画と文章」だったり、「音と映像」だったり、異なるデータの形式を結びつけて、相互に検索ができるようにしよう、というもの。例えば、「スポーツをしている男性」という文章を入れると、実際にその状況に近い写真が出てくる、というようなものである。

当時のクロスモーダル検索は、上記の例のようにデータに含まれる内容に基づいて異なる形式のデータを結びつける、というのが主流だった。だが、自分が研究の中でやりたかったのは「スポーツをしている男性」という文章から感じ取れる「挑戦的な」「情熱的な」のようなフィーリングをベースに、そのフィーリングに近い音楽だったり写真を検索する、というようなものだった。そのデータに含まれる内容ではなく、データから人間が感じ取るフィーリングをベースに検索ができるようになる、というタスクに取り組んでいる研究は存在しなかった。(結果として、この研究は情報処理学会の論文誌に採択された。)

異なる形式のデータ結びつけるアプローチが、内容ではなく感情になっただけ、と言われればそうなのだが、自分はこの研究テーマにかなり熱を注いでいたように思う。今所属しているispecという会社で働きながらも、夜や土日の時間を使って実験をしたり論文を書いたりしていた。振り返ってみるとかなり人間性を捧げていたというか、本当に休むこともなく仕事と研究に取り組んでいて、なんでそんなに頑張ってたのか、は謎だった。何となく研究が好きだったらかとか、研究テーマに魅力を感じていたからとか、その程度に考えていたが、なんでこのテーマに魅力に感じていたか、あまりわからなかった。

意識と無意識

昨年、人類学者グレゴリー・ベイトソン「精神の生態学へ」という本の新訳が出版されたのだが、その本は生物学、人類学、社会学などさまざまな分野を相手に、ベイトソンの一環した哲学や思考プロセスを使って立ち向かう論考がまとまっている。ベイトソン自身が持つその思考プロセスはとても魅力的で、自分の思考整理のためにも何回も読み直している。

なぜこの本の話をしたかというと、この本を通じて自分が大学院の頃に研究しようとしていたことや、何で情熱を傾けることができていたか、に対して少し理解が深まったからである。『精神の生態学へ』上巻の「プリミティブな芸術のスタイルと優美と情報」という章で、無意識に関する考察と、芸術作品がその無意識から発せられるメッセージの力によって生まれてくるという話があった。

いわゆる「無意識」のアルゴリズムは、言語のアルゴリズムとは全く別の方法でコード化され組織されている。しかもわれわれの意識は、大部分が言語の論理によって組み立てられている。そのために、無意識のアルゴリズムを意識で捉えることは二重の困難を伴う。

(中略) フロイト流に言うなら、無意識の行う操作は「一次過程」の諸原理によって構造づけられ、意識の行う思考(とりわけ言語化した思考)は、「二次過程」によって表現される、ということになるのだろう。

「言葉で表現できるなら踊る必要はない」と、イサドラ・ダンカンが言ったように、芸術作品は言葉で還元できない無意識の領域による実践が含まれている、という話である。無意識、一次過程においては、愛、憎しみ、恐れなどのフィーリングが含まれているが、一方でその対象は明確になっていない、という思考フェーズである。すごく簡単な例を出すと、「なんか焦っているな」とか、「なんかムカつく」とかは思っても、それが具体的に何に対して焦っていて、なんでムカつくのかは、“意識的に”言語化しなければわからない。つまり、抽象度が違うのである。

大学院の研究を再考する

冒頭で、大学院の研究はモーダル間のマッピングを「内容」から「感情」に変えただけだと、あえて否定的な言い方をしたが、正確には「“意識”の階層ではなく、もう一つ抽象度をあげた”無意識”の階層で検索ができるようにしたい」ということだったのかもしれない。当時は”内容”と”感情”を同じ階層の物事として捉えていたような気もしていて、だから客観的な面白さは見出せてなかったように思う。だが、「人間の本質は無意識と意識の異なる階層の思考の両輪が稼働していて、意識的な部分だけで検索するのはナンセンスだ」というテーゼが、言語化されてない状態で自分の中に存在していて、だからこそこの研究テーマに研究以上の何かを見出していたのかもしれない。(これも、無意識の領域で行われていたと考えると、無意識とは恐ろしいものである)

「自分が何をやっているか」は後にわかる

ベイトソンは生前、非常に多くの分野に顔を出しており、人類学、生物学、精神分析学など幅広い領域での論考がある。本人は「自分が何者か」が分からない時期もあったそうだ。しかし彼は晩年、自分がやってきたことが何なのかが見えてきて、それを本にまとめたのが『精神の生態学へ』である。本人も「それをやっている時は自分が何をしているかわからなくても、時が経つと自分がそれまで何をしてきたのかがわかることがある」と言っている。

この本を読んで思考を整理することで、自分が大学院の研究で何をしようとしていたのか、が少し分かったような気もするし、今自分が熱中してやっている仕事もいつか、意味がわかる日が来るのかもしれない。